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広島の草創期を支えた「小さな大投手」、長谷川良平さんが亡くなられた。

「小さな大投手」長谷川良平氏死去(スポニチアネックス)
プロ野球広島の監督を務め、現役時代は「小さな大投手」と呼ばれた長谷川良平氏(76)が29日に死去した。76歳。葬儀・告別式は31日午前11時から広島市小町2の1、妙慶院和順講堂で。喪主は妻淑子(よしこ)さん。

 愛知・半田商工高から1950年に広島へ入団し、1年目に15勝をマーク。8年連続で2けた勝利を挙げ、球団の創設期を支えた。55年には30勝で最多勝。通算成績は621試合で197勝208敗。63年に引退後、65年途中から監督に就任、67年まで務めた。2001年には野球殿堂入りを果たしている。
[ 2006年07月29日 14:07 速報記事 ]


今、広島カープが存在するのは長谷川良平さんのおかげだという。
カープ草創期は資金難のうえ、たいへん弱く、いつ、消滅してもおかしくないくらいだったと聞く。
一時期は郷里である、愛知県のチーム、中日への移籍を考えたこともあったそうだが、チームの慰留もあり、広島に残ることになったそうだが、当時、このことは騒動となり、長谷川さんはマスコミに叩かれたそうだ。
ただ、広島の人たちは広島に戻ってきた長谷川さんを温かく、迎えてくれたそうだ。(はてな 長谷川良平より)

「カープ―苦難を乗りこえた男たちの軌跡」(松永 郁子、駒沢 悟著。宝島社)という本によれば、長谷川さんが広島に行こうと思ったのは叔父さんが広島市役所の復興課に勤務していたので、縁を感じて、来たそうだ。
サイドスローピッチャーで小柄だったが、弱い広島を支えたエースだった。
ただ、孤高になりがちな性格の持ち主だったうえ、エースであり、貧乏球団の中ではあったが、それなりに特別扱いをされていたため、それを気に入らないと思ったチームメイトの中には長谷川さんをいじめた人もいたそうで、内野手が取れる球もかかわらず、わざと落としたという話もあったそうだ。
現役時代、長谷川さんが広島県内の人で心を開いた人はあまりいなかったみたいであることは他のカープ関係の本に書かれていた。
金田正一さんや力道山さんと仲がよかったそうで、よく、遊んだ中だそうだが、体を気遣う長谷川さんは酒をすすめる力道山さんの誘いを断っていたとか。
「俺のすすめた酒を飲めないのか」意見を強く持ちそうな人相手に長谷川さんはよく断ったなあ、と、私は思いましたね。それだけ意志が強い人なのだろうと。

また、これは知らなかったが、ウィキペディアの長谷川良平によると、中日のコーチをされていたこともあったそうで、そのときのチームの現役の顔ぶれが小川健太郎とか星野仙一だったというから、とても濃いなあ、と。
コーチ陣の中には現役時代は同じサイドスロー投手だった曲者の近藤貞雄さんもいたそうだ。
つくづく、濃い顔ぶれですね。

私個人としては、同じ郷里の大物として、たいへん、誇りに思える人でしたね。
ラジオで解説されていたとき、結構、聞いていたのですが、子供だったので、内容は覚えていなのですが、独特の口調で話をされていたことは覚えています。

長谷川良平さんのご冥福をお祈りします。
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テーマ:広島カープ - ジャンル:スポーツ
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『結果の出ない努力はゼロと一緒だ』
  どうも皆さんおはようございます。久しぶりの更新にもかかわらず、 '''今日は敢えて『蟲の宴』には触れまい'''と考えている夜光怪人です。ヾ(ーー )ォィまぁまぁ、いろいろ在るのですよ・・・・= 相変わらず変な言い訳から始まった今日の日記
2006/07/30(日) 09:10:16 | 人間失核~浪人生のボヤキ?~
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