ニュートラルポジション

私の読んだ本や聞いた音楽などを紹介し、感想を書くブログです。

メールで送りたい場合はメールフォームからお願いします。


サーチ:
キーワード:
Amazon.co.jp のロゴ
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
近頃は解説でもお見掛けしないなあ、と思っていて、「ご高齢だしなあ」と思っていましたが、残念なニュースです。
近藤貞雄さんが亡くなられました。

近藤貞雄氏が死去 中日ドラゴンズ監督でリーグ優勝(中日スポーツ)
プロ野球の中日などの監督を歴任し、中日をリーグ優勝に導いた野球評論家の近藤貞雄(こんどう・さだお)氏が2日午前9時22分、呼吸不全のため東京都世田谷区の青葉病院で死去した。80歳。愛知県出身。葬儀・告別式は10日午前10時から品川区西五反田5ノ32ノ20、桐ケ谷斎場で。喪主は妻恵子(けいこ)さん。

 愛知・岡崎中、法大から1943年、西鉄(現西武)に投手として入団。巨人時代の46年に23勝を挙げたが、その年の暮れに事故で利き腕の右手中指の腱(けん)を切断する大けがを負った。しかし、中日に移籍した48年にハンディを克服して復活し、54年に引退するまでの間に24勝をマーク。奇跡のカムバックは「人生選手」と題した映画になった。

 現役引退後は中日、ロッテのコーチを経て81年に中日の監督に就任、82年にリーグ優勝に導いた。85年から2年間は大洋(現横浜)、89年から3年間は日本ハムの監督を務めた。99年に野球殿堂入りした。コーチ時代に投手の分業システムを確立するなどアイデアマンとしても知られていた。通算成績は55勝71敗で監督としては470勝を記録した。


近藤貞雄さんは戦前は野球選手をよく出していた、今は新学校の愛知県立岡崎高校出身(旧中等学校)で岡崎は個性的な野球選手を多く出していたが、例に漏れず、近藤さんも味の濃い人でした。
戦争中は学生で横浜国立大学工学部の前身の横浜の工業の専門学校に行っていて、航空機会社のエンジュニアになる予定だったが、戦局が悪化し、4月に繰上げ卒業になるのが、それも、戦局の悪化で、卒業自体もお流れになったという話を週刊ベースボールで診たことがあるが、プロフィールにそういうことは書かれていない。
だから、本当なのかどうかはわからないが、オフには通訳無しで、単身で、外国人選手を探していたというほど、バイタリティーのあった人だから、あながち、なくもない話だとは思いました。

寺山修司の「スポーツ版裏町人生」の中にも近藤貞雄さんは往年の名俳優、片岡千恵蔵がやった役になぞらえて「三本指のエース」として語られている。
この文章が書かれた当時は東京オリオンズ(現、千葉ロッテマリーンズ)で濃人渉監督のもと、確か、投手コーチをやっていて、村田兆治や成田などを投手を育てていた時代だと思う。
ここで書かれているのは「三本指のエースはどこへ行ったのだろう」ということと、近藤貞雄さんの野球人生が書かれている。

近藤貞雄さんは戦争が終わった後、戦争に行ったため、選手が不足していて、足りなかった阪急や巨人に選手を補強するため、巨人のほうに行くことになった。
巨人では主力投手として活躍するが、アメリカ軍のジープに轢かれそうになり、それをよけるため、体勢を変えたとき、溝に手を突っ込んでしまい、割れた茶碗の破片で指をケガをしてしまい、指が2本、動かなくなってしまった。
仕方ないとはいえ、投手としては生活のかかった指をケガしていまい、巨人は解雇した。
流れる川を見ながら、「身投げしよう」と考えたこともあったが、中日から内野手として来ないか、誘いがあり、内野手として、中日に入団。
内野手の連係プレーを練習中に、内野手は横手に投げるのが基本なので、横手で投げていると、なんか、変な曲がり方、落ち方をする。
指が2本動かないので、握りが他の人と違うのもあり、変化するのだ。
これがのちの「ナチュラルシンカー」である。
これを習得した近藤さんは投手へ再転向。
中日で活躍する。
この劇的人生が新聞でも書かれていた「人生選手」という映画のモデルとなった。

近藤さんでもう一つ有名なのは、今では当たり前になり、メジャーではもっと、当たり前な「投手分業制」を日本で初めて、明確にやった監督である。
近藤さんはのちに野球解説の中で、なかなか、投手を変えない監督に向かって、
「へろへろになった投手をお客さんは見たいと思うのか」
と怒っていたが、これが、近藤さんの哲学なんだなあ、と思った。
分業制は投手寿命を長くさせる要素もあるが(肩は消耗品という考え方)、見る側としたら、へろへろな投手は見たくないのは確か。
近藤さんはお客さんのことを考えていた監督でした。

近藤さんは解説者の中で、数少ない「本人が書いている」解説者でした。
とかく、スポーツ新聞の解説者の文章は他の記者が書いていることが多いけど、近藤さんは数少ない、ご本人が本当に書いていたそうです。
本人が書くきっかけになったのは、近藤さんも最初は他に人に任せていたが、自分名義で自分が思っていないことを書かれたので、自分で書こうと思ったそうです。
筆はプロではないので、遅かったそうですが、自分で書くほうが悔いがないのは確かですからね。

それと、近藤さんは巨人OBで巨人のOB会に出ない2人にうちの1人だそうです。
その理由は、
「本当に巨人を支えた選手たちを隅に差し置いて、他の奴らが目立っている」
というのに腹を立て、二度と出なかったそうです。

私は日本ハムファンだったので、近藤さんは監督として、知っています。
私が野球を見るうえで、一番、影響された方です。
私は日本ハムの歴代の監督の中で、一番好きな監督さんでした。

今まで、おもしろい野球を見させていただき、ありがとうございました。
ご冥福をお祈りします。

草野進さんというなぞの人物(まあ、本当は誰だかわかるのだけど)が近藤さんを絶賛していました。




よろしかったら、「振り逃げプロ野球」に一票、よろしくお願いします。
スポンサーサイト
テーマ:プロ野球 - ジャンル:スポーツ
コメント
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2006/03/17(金) 20:12:51 | | #[ 編集]
そうなんですね
勉強になりました。検索からきました。足跡で失礼しました。
2008/11/05(水) 03:26:52 | URL | SY #-[ 編集]
コメントする
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
この記事のトラックバックURL
http://redhotmuzik.blog12.fc2.com/tb.php/266-cc807e17
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
トラックバック
元中日監督の近藤貞雄氏が死去
 中日などの監督を歴任し、中日をリーグ優勝に導いた野球評論家の近藤貞雄(こんどう・さだお)氏が2日午前9時22分、呼吸不全のため都内の病院で死去した。80歳。愛知県出身。葬儀・告別式は10日午前10時から品川区西五反田、桐ケ谷斎場で。喪主は妻恵子(けいこ
2006/01/02(月) 23:13:44 | すとれーとじゃぶ
近藤貞雄さん死去
仰木さんに続いて、また名将を失いました。巨人の会長とほぼ同年齢・80歳なので、平均寿命をまっとうしたことになります。近藤さんといえば、抗議していた姿が印象に残ってます。引用:中日コーチ時代の61年、ルーキーとして35勝(19敗)を挙げた権藤博(後の横浜監
2006/01/03(火) 01:04:22 | B-News(by S-I)
近藤貞雄氏 死去
元中日監督(と、横浜大洋・日ハム監督)で、野球解説者の近藤貞雄氏がお亡くなりになりました。死因は呼吸不全。80歳でした。●経歴  岡崎中→法政大→西鉄→巨人→中日●通算成績(現役)  55勝71敗(1943~1954)  防御率 2.91  274奪三振●監督  中日
2006/01/03(火) 02:21:52 | うぞきあ の場
近藤コーチの作戦に♪
何度か書いた事だが、幼少時は名古屋に住んでいた。生まれながらのジャイアンツ・ファンを自認している自分だが、当時は地元チームのドラゴンズが20年ぶりの優勝を果たし、板東英二氏が歌う「燃えよドラゴンズ!」が大好きでしばしば口ずさんでいたので、今でもドラゴンズ
2006/01/03(火) 04:19:10 | ば○こう○ちの納得いかないコーナー
■近藤貞雄氏死去
中日など数球団の監督を務めた近藤貞雄氏が亡くなった。 中日監督時代にはリーグ優勝も経験。 「野武士軍団」、「スーパーカー・トリオ」の名付け親としても知られた。また一人、昭和の名将が亡くなった。先日は仰木彬氏が亡くなったばかり。かつての単純に野球がおもしろ
2006/01/03(火) 12:11:13 | コレバナ~知ったか! 裏ヨミニュース~
近藤貞雄氏死去
中日ドラゴンズの元監督で野球評論家の近藤貞雄さんが2日、死去したとのこと。享年80歳。近藤さんといえば、82年、田尾、谷沢、大島、平野、宇野、中尾、上川、小松、牛島、鈴木孝政など野武士軍団優勝時の監督。さらに有名なのは、投手の分業制を確立したこと。...
2006/01/03(火) 12:46:24 | しばやんの不規則発言録
元日本ハムファイターズ監督 近藤貞雄氏死去
東京ドーム時代の監督近藤貞雄氏が1月2日の午前9時22分に亡くなりました。近藤監督時代、幸雄は若手レギュラーとして89年からの3シーズンすべてにフル出場しています。近藤監督の死去に対して幸雄は「3年間一緒にやったが、元気で明るい人だった。自分が成長期の時に、怒
2006/01/20(金) 00:52:48 | 田中幸雄名球会への道
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。