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野球拳:本家は服を脱がず 萩本欽一さん“謝罪” 松山(毎日新聞)
本家の野球拳は服を脱ぎません--。タレントの萩本欽一さん(64)が13日夜、松山市内であった「松山まつり」の中の「野球拳おどり」に参加した。萩本さんは、じゃんけんに負けると服を1枚ずつ脱ぐ野球拳を全国区にした張本人。発祥の地で本来の踊りを知ってほしいと、まつり実行委員会が呼びかけた。「(野球拳の)先輩に申し訳ないことをした。松山の人は怒っているんじゃないかと思う」と“謝罪”した萩本さん。「本場の踊りを学びたい」と汗を流した。

 本家野球拳四代目家元、沢田剛年さん(46)によると、社会人野球「伊予鉄電」副監督が1924年、試合に敗れた時、「宴会では負けない」と即興で野球拳を作って披露したのが始まり。「アウト、セーフ」の動作などは現在と同じだが、服は脱がなかった。

 その後、「脱ぐ」形ができたらしいが、70年ごろ、お笑いコンビ「コント55号」時代の萩本さんらが、テレビ番組で脱ぐ野球拳を披露し広まった。

 13日は、まつりの一環で萩本さん率いる社会人野球の「茨城ゴールデンゴールズ」が「松山フェニックス」と試合。その後、萩本さんは両チームの選手ら約70人とともに「野球するなら」のメロディーに乗って練り歩いた。

 松山では家元らが正調の野球拳を継承し、市民が民謡調やロック調にアレンジして踊りを楽しんでいる。沢田さんは「本来の形で踊ってもらい、歴史のひと区切りになる」と話した。【高瀬浩平】

毎日新聞 2005年8月13日 20時31分 (最終更新時間 8月13日 21時22分)


昔、欽ちゃんがやっていたコントコンビ、「コント55号」の番組で「裏番組をぶっ飛ばせ!」という番組があり、視聴率100%をとったことでテレビ業界の伝説となった番組でいわゆる「野球拳」の歌に載せ、じゃんけんをし、負けたほうが一枚脱ぐというゲームを若い女性のタレントとやっていたという、当時でもかなりな番組である。(しかし、100%なんてありうるのか?。調査方法に不備でもあったのか?、それとも機械が壊れていたのか?。大げさに言っているだけかもしれないが、人気があったのは事実かもしれない)
もちろん、私がリアルタイムに見ているわけではなく、「昔の懐かしい番組特集」で白黒でノイズだらけの画面に若いコント55号とナレーションを聞いただけですが。
今の欽ちゃんから想像できないと思いますが、このときのコント55号は過激な面があったらしいです。
だから、人気が出たのかもしれませんが。
その後はご存知のとおり。

で、本家の野球拳の由来は、1924年(大正13年)、伊予電鉄の野球チームが高松のチームに負け、そのあとの宴会でのかくし芸比べでも劣勢になり、落ち込んでいる伊予電鉄の選手たちにマネジャーの人がそっしょうのうたと踊りを教えてやって見たところ、大受け。
もちろん、こちらは脱いでいないそうです。
それから「野球拳」は広まったみたいです。
「野球拳」に関するホームページもありました。

本家 野球拳

今回は欽ちゃんが本家に謝罪ということだそうです。

でも、即興で作った歌が今でも唄われているのはすごいですね。




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コメント

>昔、欽ちゃんがやっていたコントコンビ、「コント55号」の番組で「裏番組をぶっ飛ばせ!」という番組があり、視聴率100%をとったことでテレビ業界の伝説となった番組でいわゆる「野球拳」の歌に載せ、じゃんけんをし、負けたほうが一枚脱ぐというゲームを若い女性のタレントとやっていたという、当時でもかなりな番組である。(しかし、100%なんてありうるのか?。調査方法に不備でもあったのか?、それとも機械が壊れていたのか?。大げさに言っているだけかもしれないが、人気があったのは事実かもしれない)

いつも、ご苦労さまです。
確かに欽ちゃんは、「視聴率100%男」と呼ばれました。
しかし、それは欽ドン+欽どこ+週刊欽曜日などを合わせて100%だったと思います。「裏番組をぶっ飛ばせ!」が100%ではないのは当然のことです。

>今の欽ちゃんから想像できないと思いますが、このときのコント55号は過激な面があったらしいです。

私も実はコント55号はオンタイムではないのですが、再放送を見て坂上二郎さんにドロップキックするなど、過激でしたね。ホント、レスラー並みの強烈なヤツでした(笑)。
ダウンタウンの松本さんが、コント55号の当時の映像を観て「凄い」と言ったことがありました。
渥美清さんの「寅さん」も初期の頃は、凶暴でしたから、1960年代後半の喜劇人は、元気があったんだと思います。
2005/08/13(土) 23:39:56 | URL | オランダの薔薇 #-[ 編集]
オランダの薔薇さん
>確かに欽ちゃんは、「視聴率100%男」と呼ばれました。
しかし、それは欽ドン+欽どこ+週刊欽曜日などを合わせて100%だったと思います。「裏番組をぶっ飛ばせ!」が100%ではないのは当然のことです。

昔のを振り返る番組のナレーションでは「100%」といっていたような気がしたもので…。
番組をあわせて100%ですよね。
「裏番組をぶっ飛ばせ!」の時代のことと、のちの「欽ちゃんのやっていた番組、あわせて100%」が混じっていたのかもしれませんね。
ご指摘ありがとうございます。

お笑いは若い頃のほうが機動力があるといいますからね。
ましてや、昔のほうがテレビ放送にも規制がないうえ、芸人界はもう少し過激だったのかな、とも思いますね。
2005/08/15(月) 19:15:17 | URL | red hot #-[ 編集]
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