ニュートラルポジション

私の読んだ本や聞いた音楽などを紹介し、感想を書くブログです。

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11年戦士が解散して、そのうちの一人が戦場から立ち去るそうです。

デビューした年齢も遅く、元自動車整備士だった二人は、シンプルでいて完成度の高い漫才を見せていました。
そんなコンビだっただけに、今回の解散の発表を見たときは残念に思いました。
漫才の前にアメを撒くシーンも恒例になっていました。
オンバトのチャンピオン大会だったか、出番前にアメをスピードワゴンの小沢さんに食べられたり、結成10年目で最後のM-1のときに自分たちの出番の前のコンビがM-1出場用のコンビ「BODY」という増谷キートンさんと椿鬼奴さんのコンビで、キートンさん(「BODY」のときは増谷BODY)が全裸になり、会場の雰囲気がおかしくなった後に出なくてはならなくなったり、そんな中にでもめげずに漫才をやっていた光景が忘れられません。

須知さんは今後はピンでやられるそうです。
木部さんは芸能界から離れるそうです。

解散は残念ですが、ビッキーズのことは忘れません。
これからはそれぞれの道でのご活躍を願っております。
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今回は、「私情、千原兄弟がトップの頃の心斎橋筋2丁目劇場の思い出 Part.7」の続きを書きたいと思います。

今回はたむらけんじさんの話を中心にしたいと思います。

現在は焼肉屋のオーナーとしても有名になり、また、裸に文字を書き、ふんどし姿に獅子舞といういでたちで(江戸向け仕様です。大阪では普通の格好で出ています)有名でもあります。

昔はコンビを組んでいました。
LaLaLaというコンビです。
高校の同級生と組んでいました。
私の記憶では相方だった方のほうが華があったように思います。
ABC(大阪朝日放送)の若手のお笑いの賞レースでは賞はとらなかったものの、周りの声に反し、ノミネートまで残ったことがありました。
実力、人気ともに中の中か、中の上くらいだったように思います。
ただ、コンビを組んでいた頃の後半頃はコンビとしてはうまく起動しておらず、見ていても、あまりコンビ中はよくなかったように思っていました。
その後、たむらさんは結婚し、お子さんも生まれました。
真相はわかりませんが、それが解散を決定的にしたように思いました。
そう思わせるタイミングで解散しました。
引退したのは、当時は結婚をしていない、華のあるほうの相方の方でした。
顔もまあまあ男前だったようにも思いましたし、LaLaLaの人気はその方が支えていたように思っていただけに引退したのは意外でした。

解散後、たむらさんは企画者のほうもやっていました。
その後、演者としても活動を始め、一時期は東京へ進出しました。
奥さんともテレビに出ていたことがありましたが、当時は東京進出には失敗し、奥さんも「テレビには二度と出たくない」と思ったそうで、この後はテレビには出ていません。
大阪に戻って、焼肉屋のオーナーになりました。
焼肉屋としての商才があったようで、店が成功します。
大阪の年に一回の番組では「同期に追い越された」ことを愚痴る、自虐的なキャラクターと裸に獅子舞の扮装で出るようになりました。
その後、東京に出るときはその姿で出るようになり、自虐的なことを言って、徐々に東京での露出が増えるようになりました。
たむけんさんは雑誌のアンケートをとると、結果がかんばしくないことが多いようです。
「人気が出てきた」、と、とらえていい状況なのかは、わかりかねますが、着実に知名度が上がってきたことも事実です。
ただ、焼肉屋は成功しています。
今後も焼肉屋さん芸人として、続けていくのかもしれません。
お久しぶりです。
雑談します。

だいぶ遅い反応ですが、ダイノジの大地さん、エアギター世界大会、二連覇、おめでとうございます。
前回はJETの「Are You Gonna Be My Girl」でしたが、今回は私の大好きなOFFSPRINGの「Come Out And Play」を使っていましたね。
選曲もいいですが、やはり、今回もすばらしい「エアギター」のパフォーマンスでした。
今回の日本代表だった、市川・ザ・ロックさんは他の方と同点の5位だったそうです。
元yes mama ok?の金剛地さん(yes mama ok?の人だったことはつい最近知りましたが…)はエアギターからは「引退」されたそうです。(ことわらなくてもいいとは思いますが、芸能界は辞めていませんよ)

それと、また、他の放送のため放送されなかった「爆笑レッドカーペット」が明日(2007年9月16日)放送されるため、今から楽しみです。
それと、その翌日には、ホームテレビの送信所に落雷が落ちて、1時間ばかり放送が映らなかった「ネタ祭り2007夏の陣」が放送されるので、それも楽しみです。

それと、ラーメンズの小林賢太郎さんプロデュースの「PAPER RUNNER」のDVDを借りて見ました。
当たり前ではありますが、小林賢太郎さんはすごいなあ、と思いながら見ました。
面白かったです。

それと、びっくりしたのですが、鉄拳さんが吉本へ移籍したそうです。
いろんなブログ検索などで知りました。
華丸大吉の大吉さんの紹介だそうです。
鉄拳さんは個人事務所でやっていましたが、唯一の社員の人が辞めてしまい、自分でマネージメントもしていたそうですが、体調を崩し、長い間活動ができなかったそうです。
それで、マネージメント先を求めて、吉本にたどり着いたそうです。
吉本所属の鉄拳さん、…、ピンとはきませんが…。
大吉さんには、
「吉本のギャラの配分は9割会社で1割が芸人に入る」
という厳しい現実を聞いたそうです。
が、マネージメントで体を壊すより、マシ、と思ったのか、吉本入りしたようです。
吉本は仕事をさせすぎる会社なので、そういう意味で体を壊してしまうのではないか、と思ってしまいますが、体に気をつけて、活動して欲しいと思います。
ヨシモト∞(無限大)でハローバイバイとともに鉄拳さんも出たそうです。
GyaOでの配信を楽しみにしています。
だいぶ、あいてしまいましたが、今回は「私情、千原兄弟がトップの頃の心斎橋筋2丁目劇場の思い出 Part.6」の続きを書きたいと思います。

今回はザ・プラン9のリーダーであり、脚本も担当しているお~い!久馬さんのことを中心に書きたいと思います。

今はザ・プラン9という、「コントと演劇の間」という感じの本公演が評判で、公演があれば、チケットが即完売するというクインテットの重要人物であり、プラン9自体は、今まで、吉本のファン層にはなかった、演劇系のファンが気にするようになった、という貴重な存在です。
今までの吉本ではラーメンズやバナナマンなどのファン層を得ることは想像できませんでしたが、プラン9はプラン9自体の個性も含めて、そんな感じのファン層の方々も気にかける存在となっていると思います。
また、漫才や本公演とはまた違ったコントをこなす5人組です。

久馬さんは大阪NSCの10期生でシェイクダウンというコンビを組んでいました。
シェイクダウンは漫才、コントをどちらもやるコンビでした。
相方だった、現在はピンで活動をされている後藤秀樹さんはツッコミのうまい人で、ダウンタウンの浜田さんにツッコミ方が似ているとは言われていましたが、本人の味もちゃんと出ていて、いいツッコミをされる芸人さんです。
シェイクダウンというコンビ自体は地味なコンビでした。
当時の久馬さんは今の、いい意味でなんとも言えない雰囲気の人、という感じではなく、弱弱しい印象のボケをされている方でした。
当時からネタは久馬さんのほうが書いていました。
漫才にしてもコントにしても「オチがきれい」と言われていました。
それがシェイクダウンの弱い印象、地味な印象を与えるコンビでした。
ただ、たたずまいは良く、画家の田伏勉さんの絵のモデルになったこともありました。

その後、活動自体は平行線を漂う感じで続けていましたが、久馬さんが漫才を続けることに行き詰っていて、新しいことを始めたいと思い、当初はシェイクダウンに人数を増やして続けていこうと思ったのですが、後藤さんが人数を増やすことに反対し、解散することになりました。
当時、解散の関して、千原兄弟に相談を持ちかけたこともあったそうですが、当時、千原も余裕がなく、相談に乗れなかった、という話も聞きます。
(私が持っているホームページの中の「過去の「お笑いについてのコラム」」の中で、シェイクダウンの解散についての少しニュアンスの違うことを書いたことがありましたが、今回は久馬さんのブログの2007年7月25日のエントリーを読んで、こちらのニュアンスのことを書きました)

その後、ザ・プラン9という、当時はトリオを結成します。
私はトリオ時代も少し見ていましたが、当時の3人には以前のコンビのイメージもあり、素直に見ることができませんでした。
違和感は感じていましたが、中心人物である、久馬さんの「新しいことをやりたい」という意欲は感じました。
その後、現在の5人にメンバーが増え、今に至ります。
シェイクダウンのときは「オチがきれい」ということが地味な印象を与える原因になっていたと思うのですが、現在はそれが脚本に生きているような気がします。
現在のスタイルになることによって、久馬さんは正当な評価がされるようになったと思います。

「~Part.6」で陣内さんのことを書いたときも書きましたが、久馬さんがシェイクダウンのとき、仕事で陽のあたるところにいたため、翌日、顔が腫れてしまい、当時の2丁目劇場の支配人に「芸人を辞めろ」といわれた話を書きましたが、そのときも書きましたが、本当に芸人を辞めていたら、吉本にとって大きな損失になっていたと思うし、当時の支配人の芸人を見る目が問われる出来事だったと思います。

(2007年9月8日23:20分頃 一部の文章のミスを修正しました)

まだ続きますので、よろしくお願いします。
お久しぶりです。
そして、久々に音楽の話をします。
今回はRage Against the Machineの「Renegades of Funk」です。
曲もいいですが、ビデオクリップもいいですね。
いろんな人たちが出てきます。

Rage Against the Machine - Renegades of Funk


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