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今回は「私情、千原兄弟がトップの頃の心斎橋筋2丁目劇場の思い出 Part.5」の続きを書きたいと思います。

千原兄弟のトップの時代の2丁目劇場の話をファンの目からしようと思った理由のひとつに、
「当時は評価が低かったが、今は評価が高くなった芸人」
という芸人が結構いる、ということがあります。
今回はそういう芸人さんのことを取り上げたいと思います。

まず、今回は陣内智則さんです。

私が最初に陣内さんを見たときは「リミテッド」というコンビの頃です。
よく、リミテッドというと、「かなり、面白くなかったコンビ」として、話されることも多いコンビです。
今の陣内さんの活躍を見ていると、当時の、あまりにも冴えなかったころが嘘のような活躍ぶりですが、リミテッドの頃は「この先、面白くなることがあるのだろうか」と思うほど、面白くなかったコンビです。
このやって、面白くなかった、と、以前もこのブログを書いていますが、「面白くなかった」ことが笑いになる、という点は他の「面白くない」と評価されていた芸人さんやコンビなどに比べれば、救いがあった、キャラクターに恵まれていた、ともいえるコンビでした。
引退したほうの方もキャラクターの良い方でした。

当時のリミテッドは漫才を中心にやっていたコンビです。
陣内さんはツッコミを担当していました。
ネタ自体は別につまらなくないのに、2人でやると、ぜんぜん、面白くならない、という、コンビとしてはありがたくない状況のように見えました。
2人ともキャラもあったし、さっさと解散して、ピンになるか、新たにコンビを組みなおして活動したほうが2人のためだと思っていました。

活動期間は3年ほどだったようですが、そんなに短かったかと思うほど、ある意味でインパクトのあるコンビでした。
解散後、相方だった人は引退しました。
キャラのある人だったし、続けてもよさそうだったのですが、残念ながら、芸人を続けることはなかったですね。
そして、陣内さんはピンとなりました。
しばらくは仲良くしていた千原兄弟のジュニアさんの、まさに、金魚のフンと化し、ジュニアさんはトークのときによくつるんでいる話をしていました。
このときはよく、ケンドーコバヤシさんともつるんでいたと思います。

ピンになって、陣内さんは「ネタが面白い」ということが評価され始めます。
あるとき、ピンではめずらしく、ABCの優秀新人賞という、この大会の2番目の評価を受けている陣内さんの情報をマンスリーよしもとで知り、当時はネタを見れなかったので、半信半疑だったのですが、のちに、ケーブルテレビで陣内さんのピンネタを見て、初めて、「面白くなっている」ことを知りました。
その後、全国放送にも登場します。
そして、今の活躍をしています。

昔、当時の2丁目劇場の支配人に、
「芸人、辞めろ」
といわれた2人の芸人のうちの一人でした。
もう一人は現在はザ・プラン9の久馬さんでした。
どうして、支配人がそんなことを言ったかは理由は知りませんが、当時の陣内さんはそう言われかねないほど、冴えなかったですが、久馬さんは肌が弱いのに日焼けをし、顔が腫れてしまったことが原因だったようです。
でも、この2人に芸人を辞められていたら、吉本にとって、結構な損失だったと思うので、辞めなくてよかったですし、当時の支配人の芸人を見る目が問われる出来事のように思いました。
その後、「なるトモ」などで、当時の支配人の話がちょくちょく出てくることがあります。
もう、吉本を辞めたようですが、横暴な人だったようで、芸人の間でも評判の悪い人だったようです。

続きますので、よろしければ、また見てくださいね。
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今回は「私情、千原兄弟がトップの頃の心斎橋筋2丁目劇場の思い出 Part.4」の続きを書きたいと思います。

メッセンジャーのことについて書きたいと思います。

当時、千原兄弟、ジャリズムについで人気、実力ともに上位にいたのがメッセンジャーです。
そして、当時から今まで、そんなに落ちることなく、そして、今でも徐々にキャリアアップしているコンビだと思います。
千原兄弟がトップにいた時期の2丁目劇場の時代から上位にいて、うまく身の振りができたのはメッセンジャーくらいだと思います。
比較的、男性ファンも多かったほうの芸人さんですし、東京へ行くという選択も、あえてしなかったコンビです。

正統派漫才のコンビであり、コントもこなせるコンビです。
彼らが10年目以下のキャリアの頃、M-1があったなら、間違えなく優勝していたコンビだと思います。

今はそれぞれのひとりで活動をされていることもあります。
特に黒田さんはたまに東京へ行ったり、芝居をしたり、歌を歌ったりしていますね。

しかし、2丁目劇場後の状況は、2丁目劇場の出ていた芸人にとって、過酷な状況だったと思うのですが、本当に見事に立ち回ったなあ、と思います。

よく大阪NSC11期がすごい、という話を見るのですが、これはあくまでも、私、一個人の意見ですが、実力では大阪NSC10期のほうが芸人は粒ぞろいだったと思います。
それは売れている芸人が11期に多いから、そういう評価がされているのだと思いますが、芸人の粒は10期のほうがでかい、と思います。
ただ、誤解のないように言いたいのですが、私は11期、好きです。
嫌いだから、こういうことをいっているのではありません。
10期の場合はやめた人や放送作家になった人も多いですね。
元プラスチックゴーゴーのハスミさんや元誉の遠藤さん、ジャリズムの渡辺さん、千原兄弟とともに活動されていることが多い、松本真一さん(松本さんは芸人としての姿は見たことがありません)が放送作家になっていますね。
引退が惜しまれる人もいましたね。

まだまだ、続きますので、よろしくお願いします。
今回は「私情、千原兄弟がトップの頃の心斎橋筋2丁目劇場の思い出 Part.3」の続きを書きたいと思います。

今回は千原兄弟がトップだった頃の2丁目劇場のことを語るうえでははずせない、ジャリズムのことを書きたいと思います。

ただ、私はジャリズムを語るうえで、他の多くの2丁目劇場のファンだった方々とは違う点があります。
それは、「ジャリズムを面白いと思ったことがあまりない」ということです。
当時、ジャリズムはアクの強い千原兄弟と違って、独特のものは持っていたものの、それでも、万人に受け入れやすいほうのコンビだというのが大半の評価だったと思います。
しかし、私は個人的には好みではありませんでした。
面白いと思ったのは「取り調べDJ」とか、それくらいですね。
なので、私はあまり、ジャリズムを語ることに関しては不適格な人間です。
もし、ジャリズムの当時の評価を知りたい場合は他の方のホームページなり、ブログなりを読んだほうが的確な話が書いてあると思います。
「じゃあ、お前はジャリズムの何を語るのかよ」
といわれそうですが、今回は千原兄弟がトップの頃の2丁目劇場を「ジャリズムに関して」はカヤの外だった私の、ある意味、客観的なジャリズム評を書きたいと思います。

私はジャリズムは実力のあるコンビだと思っています。
ジャリズムの核を担っているのは渡辺さんだと思いますが、渡辺さんは本当に才能のある人で、私は渡辺さんは好きでした。
私がジャリズムを苦手にしている大きな理由は山下さんのほうにありました。
私はジャリズムにおける山下さんに必要性を感じていませんでした。
ジャリズムは早く解散して、渡辺さんには一人でやって欲しい、と思っていました。
もちろん、山下さんの評価が低かったわけではありませんが(東京へ行った後、一時期ジャリズムは解散していて、ピンだった時代の低迷している山下さんの姿を見ていて、残念だなあ、と思っていましたし)、ジャリズムの山下さん、というのはどうも受け入れがたかったですね。

人気があり、実力もあるジャリズムは千原兄弟とともに、東京へ行くこととなります。
前も書きましたが、時代が合わなかったのか、東京ですぐ売れることはありませんでした。

のちにジャリズムはボタンの掛け違いがもとでいったん、解散します。
(原因は山下さんにあったようです)

その後、渡辺さんは売れっ子の放送作家になります。
山下さんはピンになったり、違う人とコンビを組んだりしますが、うまくいかず、低迷します。
そして、ジャリズムは再結成しました。
再結成後の今のジャリズムを見て、私は別に何も感じませんが、昔を知る他のファンの方々は昔とのギャップを感じている人も多いようです。
私は鼻エンジンが若手に混じって、再チャレンジしている姿を見ていたので、ジャリズムには、良い、悪い、ではないですが、「適当な再結成」のようにしか感じませんでした。

私はジャリズムは昔と変わっていないと思います。
ネタの面でも。
変わったのはジャリズムを見るときの周りの反応でしょうか。

ジャリズムがこうなるとは思っていませんでした。
昔、ジャリズムを苦手にしている2丁目劇場ファンは数少なかったと思いますし、そのため、ジャリズムが苦手であることを隠しながら、他の2丁目劇場ファンと接していました。
ジャリズムの渡辺さんと山下さんに対しての私の思いの温度差は、のちのお2人の状況に、反映されているのかのごとく、そうなっていた時期もありましたが、それは単なる偶然ですし、少し、驚きました。

私のような、ジャリズムのことを語るのに不適格な人間が、ここまで、つらつら書いて、申し訳ありません。

あとは余談ですが、昔の話で、ジャリズムはファンに対して愛想が悪いと、一部で言われていました。
私は芸能人やスポーツ選手などに対して、サインが欲しいとか、写真を撮って欲しいとか、そういう欲求がない人間なので、人のプライベートな時間を侵してまで(おかしてまで)、サインを求める人や写真を求める人の気持ちがわからないほうなので、普段の愛想が悪いことなどは気になりません。
ファンに危害を加えるまでいったら、それは大問題ですが、害がないのであれば、別に愛想がよくなくても、どうでもいいです。
ですが、一部ファンの中にはそれが気に入らない人もいたようですね。
当時やっていてたWA CHA CHA LIVEという2丁目劇場のライブで、水玉れっぷう隊のアキさんが、その話題に触れ、
「(ジャリズムは)照れくさいのだと思う」
と言ってらっしゃいました。

まだまだ、続きますので、よろしくお願いします。
遅くなって、すみません。

今回は「私情、千原兄弟がトップの頃の心斎橋筋2丁目劇場の思い出 Part.2」の続きを書きたいと思います。

今回は、というか、「~2丁目劇場の思い出」に関しては踏み込んだ話をすることも多くなると思います。
なるべく、気をつけて書きますが、もし、「あまりにもひどい」と思われるところがありましたら、コメント欄などでご指摘ください。

大阪・心斎橋筋2丁目劇場に出ていた芸人さんたちに「はまる」きっかけになったのは、以前も書いたように「誉(ほまれ)」ですが、同時期に千原兄弟をNHKの単発の番組で知ったわけです。
その後、千原兄弟が2丁目劇場のトップであることを知るのに、そんなに時間はかかりませんでした。
私は千原兄弟が2丁目劇場のトップであることをすんなり受け止めていたようなので、この事実を知ったとき、自分がどういう感想をいだいたかは、今はぜんぜん、おぼえていません。
それほど、自然にその事実を受け止めていたように思います。

千原兄弟はシュールと狂気を持っていて、独特の世界観のコントを見せていて、私は好きです。
ただ、千原兄弟は人気はあったものの、コントやフリートークで見せる、アクの強さは、当時から高いクオリティはあったものの、好き嫌いが分かれやすいコンビでありました。
どちらかといえば、事実上のツートップであった、ジャリズムのほうが受け入れやすい、といわれていました。
人によっては、将来、東京で売れるのは千原ではなく、ジャリズムではないか、という人もいました。
私は個人的にはジャリズムを得意としなかったので、ジャリズムについてはなんとも言えません。
2丁目劇場のファンとしてはジャリズムに対しての思いは少数派だと思います。
また、ジャリズムのことはのちに書きたいと思います。

私は千原兄弟のことが好きです。
アクは強いですが、面白いですし、あの芸風は好きですね。
とても好きな千原兄弟ですが、当時、千原ファンであった私でも、少なからず、違和感、というか、「なんか、違うなあ…」と思うことがありました。
これは特にジュニアさんに対して、その要素が大きかったと思うのですが、ジュニアさんは自分に対しても人に対しても、特に自分に対しての表現方法論的な部分と相手に求める表現方法論的な部分において、潔癖なくらい、求めている人、という風に感じていました。
それはある意味ではいいところなのですが、他の2丁目劇場のファンの中にはジュニアさんが「気にいっていないと思われる芸人(うわさの域ではあるが)」に対しての言い草はカンに触る部分もあったようです。(たびたび、そう思わせるような発言があったようです)
また、私が千原のラジオを聴いていたときのことですが、東京に出たての頃、東京でラジオをやっていて、その中で、ロンドンブーツ1号2号の2人のことで、ロンブーの2人は千原に対して丁寧に挨拶したにもかかわらず、ジュニアさんは、
「挨拶が丁寧すぎる。それに、自分の名前を苗字ではなく、下のところで呼ばせているやつは嫌いだ」
と言っていたことがありました。
ほとんどの人がご存知でしょうが、ロンブーの二人は他人コンビではありますが、苗字が同じ「田村」なので、下で呼ばないとややこしいことになるので、下の名前で言っているのです。
しかも、実の兄弟ではあるけど、というか、だからこそ、同じ苗字である千原兄弟だって、同じだろ、と思いました。
そのことはその場で、せいじさんが、その旨でツッコんでいました。
いくら、千原兄弟のファンである私も、このことは、
「ジュニアさんの言いがかり」
だと思いました。
その後、東京進出に失敗して、でも、徐々に活動をして、今やっと、いい感じで知名度が上がり始めている千原兄弟ですが、今はジャックナイフからバターナイフに変わったといわれている、あるいは言っているジュニアさんはロンブーと共演していました。
また、ジュニアさんはさんまさんの番組にて、とがっていた頃の自分について、
「それは過去の話です」
と言っていました。
変わってはいけない軸の部分が変わったわけではないと思いますが、東京に行ってから、いろいろあったと思いますし、東京での身の振り方で現在の形になったのだと思います。
昔のジュニアさんは、とがっていた部分とまろやかな部分とがあったと思います。
それに本当に「痛い」くらい、とがっていたとしたら、今まで、このお笑い界に生き残ってはいないとも思います。
昔のジュニアさんは、少し、やり方が間違っているなあ、とか、言いすぎだなあと思うこともありましたが、その荒削りな部分も含めて、千原兄弟だと、思っていました。

その後、東京へ行きましたが、すぐには売れませんでした。
東京へ進出して、東京のお笑い界に風穴を開けてほしいと、ファンの私は期待していました。
千原がすぐに売れなかった理由とされていることは、検索をかけて、他所の方の意見を見れば同じ意見があると思いますが、当時の千原兄弟は「ダウンタウンと芸風がかぶる」という点が問題だったと思います。
こういう業界でよく言われていることに「同じものは2ついらない」ということで、このとき出て行っても、「ダウンタウンと芸風がかぶる」という点をクリアできなかったと思われます。
もちろん、よく見ると違う部分も多くあるのですが、目立つ部分ではダウンタウンとかぶる部分は多かったと思います。
今はそうでもないのですが、当時のダウンタウンは歯に衣着せぬ物言いをする感じでやっていました。
それは千原兄弟もそうで、その発言の方向性も似たようなところがありました。
それは先輩芸人に対してであったり、売れている芸人に対してだったり。
ただ、ダウンタウンほどの地位を築いていない、ダウンタウンの後輩である千原兄弟はダウンタウンの2番煎じでしかない、と思われていたのかもしれません。

売れなかったことに関しては千原に限らず、他の2丁目芸人にもいえると思いますが、当人たちが悪かったわけではなく、時代に合わなかった、時代の波にうまく乗ることができなかった、デビュー時期が悪かった、ということが大きな要素だったと思います。
当時の私の2丁目劇場の芸人に対しての評価は思い入れていたものの、意外と冷静なものだったのですが、そのことに関してはのちに書きたいと思います。

続きますので、よろしくお願いします。
今回は「私情、千原兄弟がトップの頃の心斎橋筋2丁目劇場の思い出」の続きです。

2丁目劇場にはまったきっかけなった「誉」ですが、その後も好きは好きだったのですが、私が見た頃はちょうど、ピークが過ぎた頃だったようなのです。
ピークというと誤解されそうですが、「誉」というコンビ的にはうまく回っていなかった、という風な印象をもっていました。
過去のVTRを見てみると、一番いい時期は、その少し前のようで、「学校コント」を先生と生徒でやるというのが、このコンビの象徴だったようなのです。
ただ、このイメージだけが大きくなることを本人たちはあまり、よく思っていなかったのか、他のタイプのコントもやり始めていたようなのです。
そのコントのクオリティも決して、低くなく、よかったのですが、コンビとしては、それだけが理由ではないとは思いますが、調子を崩しているように見えました。
ただ、それを逆手にとって、「仲の悪いコンビ」と、自ら吹聴していた時期もありました。
1ヶ月間、活動を停止していた時期もあったようです。
その後、解散しました。
解散の理由はうわさによると、仲が悪かった、ことが理由ではなく、片方の方の家族の事情で芸人という不安定な仕事を続けるわけにはいかなくなり、その方が引退する、ということが大きな原因のようです。
その後、遠藤さんは一人で芸人と続けるものの、実力はあるのに、極端に受けなくなることも多くなり、芸人を辞め、作家に転向されました。
シュールなコントをするコンビで片方の方の饐えた(すえた)感じのボケと、まともそうに見えて、実は狂気をはらんでいるようなツッコミをする、でも、全体的には静かに展開する、独特の感じが好きだっただけに、解散は残念でした。

まだ、続きますので、よろしくお願いします。
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